先日は私の「乗ったか乗らなかったか」話のお願いに、たくさんの感想をありがとうございました。
まだまだ新しい感想もあればお聞かせいただきたいと思っておりますが、お願いしておきながら、なかなか自分の感想のまとめには着手出来なかった失礼な私をお許し下さい‥ 
コメント欄に書こうかとも思ったのですが、やはり短くまとめきることが出来ず、結局こちらに載せることにしました^^;
みなさんと同様の、イチ感想として聞いていただければと思います。
「ゆれる」をまだご覧になっていらっしゃらない方は、読まないで下さいね。





以下、映画「ゆれる」のネタバレありです。ご注意下さい。





「稔はバスに乗ったか乗らなかったか」‥あれこれ考える中、自分では1つの結論に達してしまったものの(先に書いておきますと、私は「乗らない」のではないかと思いました)、もっといろいろな考えや感想を聞いてみたかったことからお願いした質問でしたが、たくさんのコメント、本当にありがとうございました。
稔自身の幸せ、未来を想像されての「乗った」という選択をされた方も多く、そうか、ステキだなぁ、私もそう思えたらよかったなぁと思いました(笑)。
でも私は、「稔とバス」から猛の未来、そして「ゆれる」という作品とは‥ということを考えてしまったのでした。かなり違った角度から。。

映画を初めて観た直後は胸がザワザワしました。
ただただ“単純”に『稔は乗らなかった』と思いたい自分がいて、それ以外は考えられませんでした。
ところが、暫くすると乗ったのだろうかと考え、更にもう暫くすると、今度は「乗らない」ことが本当に兄弟にとってのハッピーエンド(に近づく結末)なんだろうかと思い始めました。

例えば‥稔はあのままバスに「乗った」のだとする。
離れ離れになる兄弟。稔は自分の幸せのためだけの新しい人生を歩み始め、取り残された弟は、恐らく変わらず東京でカメラマンを続ける。
永遠に会えないかもしれない“兄ちゃん”のことを思い、時折心で詫び、会いたいと願いながら。
時は静かに過ぎ、上辺だけでも2人に平穏な生活が戻ってくるような気がしました。

でも稔が「乗らない」で家に戻った場合。
稔を待っているのは世間の冷たい目、ボケかけたお父さんの面倒、決して苦しくないわけではなさそうなガソリンスタンドの経営。
そんな苦労の中生きて行かなければならない稔を、猛は東京でのうのうとカメラマンを続けながら見守っていくつもりだろうか。
猛ならお金で何とかしようとしたかもしれないお父さんの世話も、稔なら自分で何とかしようとするかもしれない。猛はそれを任せっきりに出来るのだろうか。
例えば、もし自分に結婚の話でも上がったとしたら、猛は自分だけ幸せになれるのだろうか、そんな兄を置いて。
そんなことを考えた時、稔が戻ってくることは、猛にとってハッピーエンドよりむしろ、苦悩が増すだけのことなのかもしれないと気づきました。
それどころか、一生兄に許しを請い続け、それでも許されないことを知る人生になる“かも”しれない。
ことあるごとに2人の間は軋み続け、まだまだゆれ続ける“かも”しれないんだ。(かもしれないし、そうではないかもしれない、ですが)
そう思った時、この2人は離れてはいけないと思いました。
「ゆれる」が人間の個々の幸せ、個々の人生を描いた作品ならそれぞれの平穏な生活もいいかもしれない。
でも「ゆれる」というタイトルの通り、兄弟であっても他人であっても、誰か他の人がいてこそ人は「ゆれる」。
それが憎しみであっても愛であっても「ゆれて」しまう人間の繋がりを描いた作品が「ゆれる」なのであれば、そうした心のゆれから一旦大きく壊れたものがどうなっていくのか‥そこに繋がっていくのもまた「ゆれる」という作品であるように思えました。
とすると、猛はどこかの空の下にいる兄に想いを馳せるだけでなく、やはりもう1度兄の人生、そして自分の人生ときちんと向き合い、苦しみ直さなければならない。
平穏な別れではなく、苦しい再会を経なければ、2人の絆の修復の『可能性』はもちろん、気づいたばかりの猛の人生もスタートしないのでは。
そのためには猛には稔が必要なんだと強く思いました。
そうか、だから稔は「乗らない」んだ。私の結論は逆の方向から辿ったものでした。

更に軋んでゆれるかもしれない2人の姿の先には何があるのか。2人もほんの少しそれを知りたいと思う気持ちがあるのでは‥
と、これは「きちんと苦しみ直す機会を一生無くして、自分が許せないまま人生を終えるかもしれない猛」を見たくないという私の願望なのかもしれませんが‥そう思いました。
作品の中では、女ったらしで自由奔放そうな猛に全く肩入れ出来なかった私が(心情、ではなく男性として、です^^;)、ここに至って肩入れしまくっているのは、自分でもおかしな気はするのですが‥やはり2人の未来がどうあれ、少しでも希望があると信じたい気持ち、それから、オダギリが演じた役だからということもあるのかな‥?と思っています^^;

そうすると単純に見えてきたのでした。
稔は「ふと乗れなかった」に近い「乗らない」だったんじゃないかなと。
理由はそこに弟がいたから。血の繋がった弟の顔を久々に意外なところで発見したから。
これまでの思いもこれからのことも一瞬忘れて、単純に思わぬ所で肉親に会えた時の『あれ?猛じゃん、なんでそんなところにいるの?』という顔が、あの時の稔の表情だったような気がしました。
そうしたら、泣きじゃくる弟の「兄ちゃん、うちに帰ろう」という言葉と一緒に、とりあえず家に戻るんじゃないかな。その先はその先で決めればいいや、くらいの気持ちで。
そう思えました。

これらは、「稔の思い」「猛の思い」というよりは、私の中の「ゆれる」という作品とは‥というところから辿り着いた、あくまで『私にとっての』その後の2人、です。

その他、他の方からもたくさんの違った感想を頂いています。
こちらです^^
→【ネタバレ感想OK】 「ゆれる」(2006年)